オグるまだん吉くん OGUmen-STORY  
閉ざされたノンフィクション
〜秘密の封印〜

知内星護

第3話 羨望の眼差し

 さわ子が倒れた。救急車で病院に運ばれた。笑子と大成も同乗し、手術室に入るさわ子を見届けた。

「パクちゃん…あんなに元気そうだったのに」当然、大成はさわ子のことを何も知らない。

「さわ子…心臓に病気持っていて、それで…」

「え?心臓悪いって判っていて、外出歩いていたの?どういうこと?じっと安静にしてないと危ないんじゃない?」

「違うの…違うのよ」笑子は下を向いたまま、首を振った。「心臓悪いから…いつ死ぬか判らないから…入院しなかったのよ」

 大成はまだよく理解できなかった。でも思い出した。さわ子の「私も…第二の人生だわ」という台詞。大成のそれとは明らかに異なる。死を直前に控えた者、死期を告知された者のみが歩むことのできる「第二の人生」。やり直しではない。単に、残りが僅か。蝋燭が燃え尽きるまでのほんの《ひととき》をいかに充実して生きるか…。パクちゃんは何をしようとしていたのか?四日市の大学に何を期待していたのか?(大学進学が嘘だということをまだ大成は知らない)…大成は考えた。

 幸い、さわ子は一命を取り留めた。しかし医者に、「今度発作が起きた時は覚悟して下さい」と言われた。

「芽室さん、もういいよ。麻酔で眠っているし。私、ついているから」

「うん…でも、今俺に何かできること、ない?」

「そうね…ここの病院はどこにあるのか、調べてきてくれる?」

「ゲッ!」忘れていた。大成はまた、道を訊ねなければならない。

 笑子は思い切って聞くことにした。家出した大成は今日、どこで寝泊まりするのか。黒岩隆の家なのか?近くのホテルなのか?「あのー…これから、どこに行くんですか?」

「え?あ、俺は…うーん、何て言えばいいのかなー…。友達の家?いや、友達っていうか…ご主人様の家?」

「ご主人様?」

「うん…俺、家出して、たまたま電車の中で会った人に付いて行って…その人に雇われたんだよ、お手伝いさんとして」

「えーっ!」黒岩くんのお手伝いさん?笑子はビックリ仰天、目を丸くした。「じゃ、じゃあ…その…ご主人様の家に今日、泊まるんですか?」

「そう…だよな。うん、そう。でさ、そのご主人様、誰だと思う?」大成は遂に、秘密の封印を解くことにした。

 笑子は《ご主人様》の正体を知っていた。が、敢えて芝居した。「えー…、わ、判らなーい…」わざとらしい。

「あ、でも…言っても判らないんじゃないかな。俺、知らなかったもん」

「え、嘘?知らなかったの?あんなに人気あるのに…」

「うん…え?あ?人気あるって…誰が?」

「あ…」しくじった。もう笑子は謝って、全てを話すしかなかった。

 大成は、隆の家から出てくる自分を笑子とさわ子に見られていたこと、コンビニから後を付けられていたこと、四日市の大学に行くというのは嘘だということ、《さわ子のインパクト》の《インパクト》は《名古屋インパクトセブン》の《インパクト》だということ…笑子の告白を受けた。

「なーんだ、じゃあ、ずっと見られていたんだ。もっと早く教えてくれればよかったのに」

「でも…私達、黒岩くんの追っかけだし…。最初にそのこと打ち明けていたら、芽室さんとこんな風に仲良くなれなかったんじゃないかな…」

「じゃあ、今はどう?…俺に聞いたよね、これからどうするの?って。それって、黒岩隆のため?芽室大成のため?」

「う…そ、それはー…」笑子は正直、困った。だからまず、謝った。「ご、ごめんなさい。黒岩くんの家から出てこなければ、芽室さんに興味を…持たなかった…と…思います…すみません…」背中を丸めて体を萎縮させた。

「参ったね。率直過ぎるぜ」

「でも、でもね…きっかけなんて、あまり関係ないんじゃないかな。結局、偶然でしょ?その偶然が正しいとか、間違っていたとか、そんなの誰も決められないんじゃない?」

「え?…ちょっと、判らない」

「だから…うーん、そう…そうよ!芽室さんだって、黒岩くんと知り合ったのって、偶然なんでしょ?」

「うん…それは…そうだけど…」

「知らなかったんでしょ?黒岩くんのこと。黒岩くんがサッカーやってて、名古屋インパクトセブンの人気実力選手だったっていうこと」

「…うん」

「私達のことだって…知らなかったんでしょ?黒岩くんの追っかけだってこと」やっと共通点を見出すことができたわ!完璧ね!と笑子は思った。「黒岩くんとも、私達とも、正体不明の人間との出会いでしょ。黒岩くんとの偶然は正しくて、私達との偶然は間違っているの?私達が仕組んだ《ヤラセ》の出会いだったから、偶然とは言えない?卑怯?」笑子は駄目押しプラス涙目攻撃でゴールを決めた。

「わ、判った、判ったよ。もうこだわらないよ。半分冗談、ちょっと意地悪な質問したかっただけだし…」

「良かったー。折角仲良くなれたんだもん。もったいないわ」笑子はホッとして、胸に手を当てて少し笑った。「あと…お願いがあるんですけどー…」

「え、何?サインでも欲しいの?」大成は斜に構え、笑子を横目に見た。

「あ、そうじゃなくて…欲しいけど…あのね、黒岩くんの妹さんに怒られちゃったの」

「妹?…あいつ、妹いるの?」

「うん…で、黒岩くんに…私達、迷惑かけるつもりはなかったので許して下さい、って伝えて欲しいの。黒岩くんに、嫌われたくないから」

 大成は腕を組んだ。「そっかー、妹か。判った。言っておくよ。俺も後付けられたって」

「やだーもう…おねがーい…それだけはやめてぇー!」笑子は大成の両肩に手を乗せてお願いした。大成は急に接近してきた笑子に一瞬ドキッとした。

 大成は笑子に「明日もまた来るから」と言って病室を後にした。さあ…隆の家に帰るゾ!…腕を曲げて拳を両脇に引いて、唇を緊張させた。

 笑子は大成に、病院の所在地を聞くのを忘れていることに気付いていない…。

 病院の出入口付近で、大成はラッキーを手にした。

「あ、あー!先程はどうも」コンビニ・ハリミーマートの店長・朱鞠内比羅夫との出会い。

「あー…あー良かったぁー!」大成は思わず、店長の両手を握りしめて跳躍した。大成がずっと持ち歩いていた、ハリミーマートのコンビニ袋に入ったコーヒーと雑誌も一緒に上下した。「あのー…道が判らなくて…教えていただけます?」

「え?道?俺の店、この病院のすぐ裏だよ」店長がサラリと答えた。

「えー!う、うそー!ホントー!信じらんない!やったー!どーもありがとうございました。また、行きますので…失礼します」大成はペコペコしながら病院の外へ出た。店長は首を傾げた。

 やっとの思いで隆の邸宅に着いたのは、もう日が暮れかかった夕方だった。門の前で大成は大きく深呼吸した。今日一日の様々な出来事を振り返りつつ、再びここに辿り着くことができた喜びをひしひしと感じていた。

 大成にとっては画期的な一日であった。友達ができた。一辺に二人、しかも異性。大成ひとりの力ではない。隆が絡んでいる。隆に感謝しても、きっと訳が判らないだろう。是非、隆に話したいと思った。これが言わずにいられようか。

 たった一人の男との出会いによって、こんなにも身辺ががらりと変わるものであろうか。誰かと心と心で通じ合う、などという経験がなかった。むしろ、避けていた。相手に心を見せるということは、自分の弱みを知らしめるということ。同時に、相手に主導権を握らせることになる。人を信じる、なんて癪だ。信じられる訳がない。何気なく人間関係らしきものを構築し、都合よく利用し合って、そのうちどちらか一方が他方を騙す。他人は自分を裏切るために存在している。いつ裏切ってやろうか…あいつよりも先に裏切ってやる。見切りの付け時…使えなくなった時。使うことによって得られる《利益》と、裏切ることによって得られる《利益》を比較して、期を窺っている。…人と人のつながりは、きっとそんなもんなんだろうと、大成なりに考えていた。

 その大成が、そうではないのではないか?という、人との接し方を体験した。でもまだ完全に否定・払拭された訳ではない。ただ、願わくば、自分なりに想像(創造)し、信じていたこの説が間違いであったという何かを見出すきっかけが今日であって欲しい…と。

 まず、冷蔵庫に缶コーヒーを入れた。そしてサッカーの雑誌を広げた。

「へー、Jリーグって…十四チームもあるのかー。なんか片仮名ばっかで外国語読んでるみたい。クリア?トラップ?オウンゴール?ツートップ?モチベーション?…俺、日本人だから日本語に訳して欲しい」独り言が広い部屋に響いた。「勉強するにも…基礎知識がないからよく理解できないよなー」

 興味がないのだから面白い訳がない。そんな中、きちんと読んだのは、名古屋インパクトセブンの記事と、読者の意見。《名古屋》とか《インパクト》という単語をページの中に発見するとその前後を読む。《黒岩》なんていうのを見ると、妙に嬉しかった。へー、あいつ、凄いんだー…程度の理解しかできなかったが。あと、インパクトはあまり強いチームではなさそうだ、ということも…。

 読者の意見を読んで感心した。「なるほどねー」なんて、何となく判ったような気にさせてくれた。Jリーグそのものへの批判、チームや選手への声援、サポーターのマナー、世界との比較…。その通りだ!とうなずけないものであっても、そういう考え方があってもいいのかもしれない…とか。表現の仕方は全部違うけれども、みんなサッカーを愛しているんだな…もしかしたら、サッカーって面白いのかもしれない…と感じ始めることができた。

 突然、電話が鳴った。

「はい…めむ…じゃなくて、えーっと…く、黒岩です…すみません」

「あなた…誰?」

「は?」電話をかけてきたのはそっちだろうが!先に名乗れ!と言いたかったが、ここの家の主は黒岩隆。失礼な応対をすると彼の恥になるのでやめた。「…昨日から、ここの家の手伝いをさせていただいております、芽室大成と申します」

「へー…今度は男を雇ったか。考えたなー」

「あのー…どちら様ですか?」

「あ、ごめんごめん。私、黒岩隆の妹。里朝っていいます。宜しく」

「あ、あ、あー…はいはいはい…」笑子の話を思い出した。この人にガツン!と言われたのか…。

「さっきそっち行ったら、家の中きれいに片付いているじゃない?どうしたの?もしかして、あなたがやったの?」

「あ、はい。そうです。昨日、隆と二人で」

「ふーん。ご苦労様。でもまた散らかると思うけど」

「いや、それはない。俺がキチッとやるから」

「ね、どうしてあなた、雇われたの?」

「雇われたというか…拾われたんです」

「拾われた?兄さんに?捨て犬じゃないんだから…え?じゃあ、家出でもしたの?」

 …この兄妹はどうしてこうも勘が鋭いのだろう…「…その通りでございます…」

「え?うそー!ホントに?アハハハハ…あ、ごめんなさい。悪気は…全くないって言ったら…嘘になるわ!アハハハハハハ…ってことは、もしかして…プータロー?…家出のプーちゃん?プーちゃん!アハハハハハハハハハ!」

 笑われるために生きる男・芽室大成。返す言葉が見当たらなかった。

「ね、ね、今度から《プーちゃん》って呼んでもいい?」

「…どうぞ」

「やったー!嬉しいわー!プーちゃんとだったら上手くやっていけそうだわ」

「え?」大成は、その意味はとても深い、という予感がした。

「今までのお手伝いさん、私と馬が合わなくて、辞めちゃったのよ。で、食事不味いとか文句言ったり、無理難題押しつけたり、掃除がしにくいようにゴミ持ってきてばら撒いたり…」

「え?じゃあ、もしかして…」

「そう、あれ、私がやったの」

 大成の怒りが一気に沸点に達した。が、敢えて自分を抑えた。「そ、そう…君がやったの…」

「んもー、やめてよ!《君》なんていう言い方。里朝、でいいわよ!」

「そ、そんな…いきなり呼べないよ」

「えー、おねがーい!じゃあ…里朝ちゃん、でいいわ!」

「…努力します」怒りはまだおさまっていない。必死だった。

「今度、プーちゃんに会いに行くから、待っててね!」

「この家に…住んでいるんじゃないの?」

「ううん、今、マンションから電話しているの。一応自宅。家賃は兄さんが払っているけど」

「どうして?こんなに広い家なのに…一緒に住んでもいいんじゃない?」

「…私、兄さん嫌いなの」

「は?」大成には里朝が理解できなかった。もう怒りはどこかに消えてなくなり、忘れ去られた。熱しやすく冷めやすい。

「っていうか、兄さん、私に頭上がらないのよ」

「え?」大成には里朝が理解できなかった。

「ま、そういうことだから、宜しく頼みます。家出のプーちゃん!じゃあね!」

 受話器を置いた後に残されたのは、大いなる疑問であった。隆は妹と仲が悪い?頭が上がらない?で、妹のマンションの家賃を支払っている?聞いてもいいのだろうか、こんなこと。兄妹の問題だしな、新参者の俺が口出すべきじゃないよな。でも…隆は《もっと近い関係になりたい》って言ってくれたし…。ま、慣れてないからな。人間として、いや、隆のサポーターとして、最低限のマナーは守ろう。隆と上手くやっていけば、そんな疑問、時間が解決してくれるさ…そのうち判る…。

 夜、隆が帰ってきた。大成の作ったカレーライスを食べつつ、「今日、朱鞠内さんに《ツケ》払いに行ったんやって?そんなことせんでもよかったのに」

「いや、昨日からずっと気になっていたんだ」

「几帳面なんやなー。僕にピッタリのサポーターや」

「はいはい、隆くんが安心してサッカーに打ち込めるように精進してまいりたいと存じます」

「厭味、カッ飛んでんなー!快調快調!ハハハ…」隆は腰に両手を当てて、のけ反って高笑いした。

「で、明日、払うって言っちゃったんだけど…」

「あ、大丈夫。来週払うから。また酒おごるんや。聞いたやろ?いつもそうだって。大ちゃんも一緒に行こうね」

「うん…」大成は嬉しかった。でも無表情のまま、カレーのおかわりをした。

「病院でも会ったって言ってたけど…どこか体悪いの?」

「あ、あー…話せば長くなるけど…。今日はもう大変だったんだー」

 大成はさわ子と笑子との出会いを隆に話した。

「へー。で、その…パクちゃんって、大丈夫なの?」

「うん…一応、今のところは。でも、今度は命の保証できないって」

「可哀相やなー…」

「インパクトのサポーターで、隆の大ファンなんだってよ」

「有難いけど…何もできへんしなー」

「ま、あれじゃないですか?黒岩キューンの最高のプレーが何よりの特効薬なんじゃない?」

「そう!そうやね!」

「隆のおかげで…友達、二人もできたし。しかも女の子…タメ(同じ年齢)だから女の子って歳じゃないけど…」

「いや…僕は何もしてへん。大ちゃんが自分で…」

「いやいや、俺一人じゃ…。隆と一緒にいると、色んなモノが手に入るような気がする」

「え?色んなモノ?」

「俺が今までどう足掻いても手に入らなかったモノ。欲しいとすら考えたことがなかったモノ。いや、あると却って邪魔になると思っていたモノ」

「よく判らんけど…大ちゃんって…結構辛い人生やったんやな?」

「…うん」下を向く大成。

「暗く考え過ぎや!もっと明るく!楽しく!」

「羨ましいよ、ホント。でも、俺、すぐに明るく楽しくなんて…できない…」

「そう?簡単なコトやと思うけどなー」

「俺、思うんだけど…。隆みたいに楽しくしていられるのは、一通り必要なモノが揃っていて、ある程度満たされている人だけなんじゃないかな。隆が持っていて俺が持っていないモノは山程ある。その全てが俺には羨ましい」

「僕はサッカーしかできへん。他に大したモン持っとらんよ」

「隆は気付いていない…持っているから。持っていない人の《羨望の眼差し》を通して初めて見えてくる…初めて判るんだ…きっと。なあ、隆の羨望の眼差しで見て、俺…どう?俺が持っているモノの中で、隆が欲しいもの、ある?ないだろ…」

「あるよ」隆は即答した。

「え?」大成にとっては意外な返答であった。

「何でも都合良く考えるのは、単に調子がええだけなんや。たまたま、今までそれで上手くいってただけ。大ちゃんみたいに、冷静に物事を捉えることも、必要なんや。僕は、何でも茶化しちゃうから。顰蹙(ひんしゅく)かうこともあるんや」

「そうか、一応悩んでいるんだ!知らなかった」

「失礼な!僕にだって悩みのひとつやふたつ、あるよ!」隆は笑いながら立ち上がった。「あと…」

「まだあるの?」

「普通の生活…ごく一般的な。サッカー選手になりたくて、その夢が叶った。でもいざ振り返ってみると、沢山捨てたもの、あるなーって」

「それはそうだろう。隆の言う《普通の生活》をしているいわゆる《普通の人》は、夢を犠牲にしている。夢があっても色々な事情であきらめたり、…夢を見ることすらできなかった人もいる…俺がそうだ。隆は幸運にも夢を描き、それを見事に実現した。敢えて《普通》を捨てて、《夢》を選んだんだろ?で、今度は普通が羨ましい?それはないんじゃないか?」

「判っとる。でも…これで良かったのかなーって思うことも…ない訳じゃない。何もかも上手くいき過ぎとるから…それが怖くなる」

「へー、らしくないねー。怖いモノなし!だと思ってた」

「…大ちゃん!あのねー…」

「仕方ない。判ったことにしてやるよ。人生一度きりだし。いっぱい道があっても、歩ける道はたった一本。二本同時に歩けないからな。隣の道をどうしても歩きたいなら後戻りするしかないし。ま、選べる道はたったひとつだから、あっちの方が良かったかもー…って感じだろ?」

「そう…そうそう!そんな感じ。さすが大ちゃん。でも…大ちゃんって、すぐマジになりよるな。初対面でいきなり叱り飛ばしたり…でも何だかんだ言っても最後には手伝ってくれたよね。ホンマ、嬉しかった」

「あ、あれは…だって…」言いたいことをどう表現していいか戸惑う大成。

「大ちゃん、もっと自信もってええよ!」

「自信?」

「そう、自信!大ちゃん…悪くないよ、そんなに。何て言うのかなー、…運!運が悪かったんや、今まではたまたま。ラッキーやったでしょ?僕との出・会・い!」

「…あー、そー…。そーやって恩を売る訳か…」

「ちょっとは大ちゃんの厭味に対抗せんと…」

 二人は笑った。人との会話がこんなに楽しいとは知らなかった。そして思わず、こんな台詞が大成の口から飛び出した。

「明日、また新しい何かに出会えるような…俺、こんなふうに考えられるの、初めてだな。明日っていうのは、黙っていてもやってくるものだと思ってた。でも今は、自分の方から明日に殴り込んでやろう!みたいな」

 再び冗談抜きになった大成に調子を合わせる隆。「…判った!任せて!大ちゃんの人生に、潤いを与えたる!お互い、頑張ろう!」

「でもなー…」

「え?」

「ちょっと悔しい」

「は?」次は冗談ありか?なしか?隆は少しドキドキした。

「手放しで喜べない。だって、…ねー…、何て言うか…《こいつ?えー?ホントにー?》ていう感じ」大成は指差してマジマジと隆を見た。

「ど、どーゆー意味や!それ!」隆は怒鳴った。

「でもまあ…事実だから…仕方ない…隆を認めてやるよ!…ハハハハハ!」隆に対してストレートに感謝の意を表現するのはやはり照れ臭かった。

「大ちゃん…やっぱ、もっと素直になって!段々キツくなっていく…」でも隆は判っている。大成の言うことがキツくなればキツくなる程、大成との距離が短くなっていることを。

「あ、そうだ。電話、あったよ」大成は突然思い出した。

「え?そう…誰から?」

「妹さん…えーと、里朝ちゃん、だっけ?」

「里朝!?」隆の表情が一変して強張った。

「そうそう、パクちゃんとあわちゃん、この家の前で隆を待ち伏せしていて、その…里朝…ちゃん…に怒られたんだって。隆に《許して下さい》って…」

「里朝…」

 暫く、何も言葉を発することができない雰囲気が部屋の中を支配した。隆の皿にはまだ半分以上カレーライスが残っていた。

 出会ってから、こんな表情の隆を見るのは初めてだった。目的なく斜め下に目線を落としながら奥歯を食いしばり、舌打ちした。大成はなす術がなかった。この状況、どう乗り切ればいいのか、全く判らなかった。ジョークひとつ飛ばせば一変するのだろうか。このままただ時間が流れるのをじっと静観してればいいのだろうか。それともこの場を去り、隆を一人にさせるのが最善なのだろうか…。

「何か…言っていた?」沈黙を破ったのは隆だった。

 少しホッとして、大成は答えた。「…最初、男のお手伝いさんを雇ったのかって…」

「あ…そう…」

「で、家出したの?って…お兄様と同じように、言われて…」大成は、隆に笑って欲しかった。

「…ふーん…」隆は笑わなかった。

 困った。もし笑ってくれたら、《プーちゃん》のことを話すつもりだった。あとはただ事実を述べるしかなかった。「今までのお手伝いさんと…その…トラブって…辞めさせちゃった、みたいに言ってた。昨日まであったあのゴミ…」

「申し訳ない!」隆は急に謝り、頭を下げた。

「な…何だよそれ…何で隆が謝るんだよ!…俺、隆が…単にだらしない奴で、片付けなかったんだって思ってた。だから…その話聞いて、頭来た!隆に、じゃない。君の妹にだ」

「…だから…申し訳なくて…。何も知らないで、手伝わせちゃったから」

「それは仕方ない。俺はまだ、隆と知り合ってまだ…えーと…二日目だろ?たった二日で、全部判る訳ないだろ?…他にも…色々言ってたけど…でも、敢えて、聞かない。まだ、聞く資格…ないから…」

「…ごめんね。大体、検討はつくよ。僕のこと、里朝がどう言ったか」

「そのうち、な…。まだ、里朝ちゃんに会ってないし。電話だけだから…。本人をこの目で見て、俺が里朝ちゃんを判断する。ちょくちょくここ、来るんだろ?」

「うん…。僕のいない時が多い。心配なのは…」

「俺が辞めるんじゃないか?って」

「そ、そう…。僕…大ちゃんには…」

「辞めて欲しくないか?」

「辞めて欲しくない!」

「ほんと?」

「ほんと…ホンマ、ホンマや!これは…ホンマや!」椅子から立ち、大成を見つめた。

「里朝ちゃんが…今までと同じように、俺に嫌がらせしたら…俺が不愉快な思いしたって隆に言ったら、どうする?」

「……」隆は何も言わなかった。拳をドンとテーブルに叩きつけた。カレー皿の中でスプーンが跳ねて音を立てた。

「相当、立場弱いんだな、隆…」

「…大ちゃん…ご、ごめん…ごめんな…ホンマ、僕、僕…」

 弱い部分を見てしまった。もっと具体的に、どう弱いのか、知ろうと思えばできないことではない。…大成は少しジャブをかました。隆はもう逃げている。大成はもうこれ以上追い詰められない…。触れないで欲しいという暗黙のサインを受け止めてしまったから。

「明日、また練習なんだろ。早くカレー食べて、…らしくないぞ。辞めて欲しくないんなら、もっと明るい職場にしてくれよ」

「職場?…職場、か。そうやな。大ちゃんと僕って…友達じゃないんやね。僕が雇った…従業員…」寂しげに隆がポツリともらした。

「バカヤロー!」急に目をつり上げて、大成は怒鳴った。「そうかいそうかい!隆、俺のこと、何だって?…従業員だって?従業員として俺を見てたのか!今までの会話は…従業員との会話なのか?俺と隆は…上下関係なのかよ!そりゃ否定はできないけどよ!…情けないよ。隆と話して…楽しいって…一瞬でも楽しいなって思った自分が…情けない!…お前、何て言った?味方になるとか、サポーターだとか…あれは出任せか?茶化して言ったのか?十八番だもんな!褒めてやるよ!立派立派!」

 隆の涙が次々とこぼれ落ち、カレーの味を薄くした。「…僕、駄目やな…」

 隆の涙が、大成の《口撃》をフォローに変えた。「言っただろ?金なんか要らないって。職場、って言ったのは…俺は、ここで働くから…きちんと働くから…もっと隆に、サッカー頑張って欲しいから…グラウンドに、私生活は持ち込んで欲しくないから…。他の人に言われるんなら構わないけど、隆に…隆には…雇っているとか…従業員とか…絶対、絶対!言われたくない!今日だって、金以上に価値あるもの、手に入ったって言っただろ?」

 隆は全身を震わせて泣いた。涙と汗と鼻水がミックスされ顔面はビショ濡れだった。呼気よりも遙かに吸気の音の方が大きかった。

「さっきみたいに、楽しく話してくれるだけでいいんだ。それが何より、じゃないかな…。その代わり、俺はこの家、ビシッと守ってみせるから。ここにいれば…隆といれば…色んな人と知り合える。もっともっと、沢山の人に会いたい。…人間嫌いだった俺をこんなに変えやがって!誰のせいだと思ってるんだ!責任取れよ!」

 顔を袖で拭いて、やっと隆は笑った。「うん、取るよ…責任」

「意識して明るくする必要はない。深く考えずに…自然に…茶化せ!笑わせろ!面白くしろ!変に気、遣わないで、機嫌悪いんだったらそのまま俺にぶつけろ!受けて立ってやる!秘密にしたいことがあるなら話さなくていい…それ以上は聞かないから…」

「大ちゃん…って…もしかして…いい人やね?」

「何だとぉ〜…今頃何言ってんだー!」大成は隆の背後に回り、ほっぺを両方つまんで上下した。すると更に涙が多く流れ、大成の指も濡れた。「いい加減、カレー食えよー!」

【つづく】


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