OGU面冠者 -Expert
1999.10.6 名古屋グランパスエイト 小倉隆史選手 応援HOMEPAGE 冠者116

JOMO CUP 出場決定!記念!?

「もし、ぼくが何でもできるちょうのう力者だったら」 小倉隆史
ぼくの文集 サッカーボール 〜小倉隆史 10歳当時の作文より

こんなちょうのう力者だったら、日本からブラジルへいくだろう。
それもいじげんくうかんでいくんだろうな。
ついたらブラジルのかんとくにうまくなるように教えてもらってサッカーの神様ペレやジーコなどをおいこすぐらいのサッカーのプロ選しゅになるだろう。
なったらブラジルチームのせ番号は10番のキャプテンになって、サッカーのワールドカップでゆう勝するのにな。あっととと、わすれてたけど守る所はセンターワードになるつもりだ。
次は、その有名な人になったお金ですごいごうていにすんでふじゅうなくすむのになあ。
庭にはもあってプールもあって、そのうえプロなみのサッカー場もほかにもいっぱいあって家は、90ものへやがある家にすむのになあ。

情報源 ★ 『小倉隆史 オランダ留学記』三重テレビ放送(1994年?)

オランダには居る、靭帯“料理人”!?
OGUの恩人・島田氏(オランダ・ロッテルダムで日本食レストラン経営)said
オランダというのは、それぞれの靭帯ごとに専門家がいるんですよ。それで、それこそ毎日のように“切って”るんです。
うち(=島田氏のレストラン)の板前が刺身を切ると“美味”なように、やはり名人が“切る”と違うんですよ。
小倉の時も「2002年には絶対に間に合わせてやるから」って言ってくれてね。

OGUと知り合うまでは「試合の日は客が少ない」という理由でサッカーが嫌いだったという島田氏。OGUがオランダ2部エクセルシオールでプレーしていた1993-1994シーズンに偶然知り合って以来、ことあるごとにOGUの世話をしている。OGUはリハビリ中、月〜金曜日をオランダ協会内のホテルで過ごし、週末は島田氏宅に下宿していた。→冠者67「白いたまごっち」参照

情報源 ★ 『サッカーai』日刊スポーツ出版社(1998.12)


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