OGU面冠者
2002.08.15-11.01 Lefty Monster 小倉隆史 Breakthrough Sniper 吉原宏太 ..... 選手応援系 冠者150

小倉隆史 vs 吉原宏太

 
 選手応援Homepageとしては珍しく(?)、選手の“プロフィール”なるものが、ogumen.comには掲載されておりません(←最近気付きました)...。いや、正確には...全く掲載されていない訳ではないのかもしれませんが...。ま、冠者150記念、および「吉原宏太も応援しちゃうよ宣言」記念として、ogumen.comらしい選手紹介・対比をしてみようかなーと。
 下記の文章は「事実に基づいた“つもり”の、知内星護による“評価”」だったりもするので、何かお気付きの点がありましたらメールにてお知らせ下さいませ。
2002.09.09... 略歴/プロ初ゴール
<小倉隆史>
 1973年7月6日生まれ。B型。182cm。三重県鈴鹿市出身。利き足:左。
 白子小→鼓ヶ浦中→四日市中央工業高→1992年:名古屋グランパスエイト→(オランダ・フェイエノールト→ブラジル・グレミオFC)→1993年:オランダ2部・エクセルシオール→1994年:J・名古屋グランパスエイト→1999年:J1・名古屋グランパスエイト→2000年:J1・ジェフユナイテッド市原→2001年:J1・東京ヴェルディ1969→2002年:J1・コンサドーレ札幌
プロ初ゴール:1992年9月5日 ナビスコカップ第1戦 vs清水エスパルス ※デビュー戦
<吉原宏太>
 1978年2月2日生まれ。O型。170cm。大阪府藤井寺市出身。利き足:右。
 道明寺東小→道明寺中→初芝橋本高→1996年:JFL・コンサドーレ札幌→1998年:J・コンサドーレ札幌→1999年:J2・コンサドーレ札幌→2000年:J1・ガンバ大阪
プロ初ゴール:1996年4月21日 JFL第1節 vs福島 ※デビュー戦・2得点
 ...ふたりとも、諸事情により...オリンピック出場もW杯出場も果たしていない...。華やかなる代表歴は、これから書き綴られていくことでしょう...そうでなくては困ります。
<知内星護>←おまけ
 1970年5月22日生まれ。O型。165cm。神奈川県川崎市出身。利き足:右。
 末長小→私立和光中→川崎北高→神奈川大学・法学部→1993年:コンビニin川崎→1994年:コンビニin川崎・経営→(1995年:J・名古屋グランパスエイト応援)→1998年:コンビニin横浜・経営→(1999年:J1・名古屋グランパスエイト応援)→(2000年:J1・ジェフユナイテッド市原応援)→(2001年:J1・東京ヴェルディ1969応援/J1・ガンバ大阪応援)→(2002年:J1・コンサドーレ札幌応援/J1・ガンバ大阪応援)
執筆・創作活動開始:1986年4月『ぐれいと』→1989年4月『虞麗偉徒』→
Homepage開設:1996年6月5日『Internet虞麗偉徒』→1996年7月10日『OGU面冠者』→
ogumen.com取得:1996年12月5日
初ゴールイン:1999年1月11日 妻・gama ※以降、ノー“ゴールイン”...
2002.08.15... ニック・ネーム(愛称)
<小倉隆史>
 「レフティ・モンスター...左足の怪物」。
 その他...「ロンリー・モンキー」「チャンプ・スター」(※いずれもogumen.com限定)。
<吉原宏太>
 「ブレイクスルー・スナイパー...敵陣突破狙撃手」(※ogumen.com限定)。
 その他...「シンデレラ・ボーイ」、「ナチュラル・ボーン・ハンター」(サッカーダイジェスト618号/2002.04.24)、「王子」(札幌時代...一部のサポーターから)
 「レフティ・モンスター」小倉隆史、「エキゾチック・ターミネーター」山田卓也...同様、宏太にもそういった類の愛称があったらなーと思い、考えてみました...。
 「ブレイクスルー・スナイパー」吉原宏太...なんて如何でしょう?...流行ったら私のお手柄じゃ!(←流行りませんって)
 公認サイト(更新停止中)のTOPに載っている写真のポーズが狙撃手でしょ?...♪ほ〜しくず〜のすないぱぁ〜...
 ちなみに、妻の案は...「キューティ・パンチ」吉原宏太...♪だってだってだって、だってだってなんだもんっ?
 蛇足:最近...「レフティ・モンスター」といえば中村俊輔!と“勘違い”されることが、たま〜にあるようです。...が、正しくは、「レフティ・カメレオン」中村俊輔ですっ(←大嘘...)。
2002.08.15... プレースタイル
<小倉隆史>
 テクニック・パス・ドリブル・ゲームメイク(仕切り屋)・華麗・天才肌・ヒラメキ。
<吉原宏太>
 スピード・パワー・運動量・ドリブル・泥臭い...本人曰く「雑草魂」。
 小倉隆史に関しては、高校〜グランパス前期は「やんちゃ」「悪ガキ」。大ケガ→長期離脱→戦線復帰以降、下位球団を転々とするも、彼ならではの非凡なるテクニックおよびセンスが一際目立つようになる。がしかし、彼のポジションはあくまでもFW。ピクシー(ストイコビッチ)のような「魅せるプレー」プラス、「ゴールゲッターとしての大復活」を、本人もファンも望んでいることは言うまでもない。
 最近の実績からすると、得点力は吉原宏太の方が上。“童顔”からは到底想像し得ない、まさに全身全霊を駆使して常に「前への嗅覚」を研ぎ澄まし狙いながら、最後は身体ごとゴールへ突っ込まんとするプレースタイル。この調子で今後も更に飛躍し続けて欲しい。
2002.08.15... ポリシー/“出世”の経緯
<小倉隆史>
 「試合が始まれば選手のものでしょ。監督の指示を無視しろという訳ではないけれど、局面ではもっと世界に対してアピールして欲しかったですね」→冠者101
<吉原宏太>
 「自分のプレースタイルとかそういうのって、こだわってどうこうするのも大事やけど、監督が指示してる通りにやれんかったら意味がないやないですか」→冠者148
 ...これってもしかして、両極端な言い分!?...ま、質問のされ方(小倉の回答は、「1998年フランスW杯における日本代表」について)とか、質問時における各々の状況・立場とかの影響もあったりはするんでしょうけどねー...。やはり、選手と監督とで「信頼関係」が築かれなければなりませんし...。
 得てして監督よりもスゴいことを考えてしまったりもする、天才肌・小倉隆史。既に...というか、もしかしたら最初から「できてしまう」彼にとって「自由にプレーする」ということは即ち、普通の脳味噌を持つ万人がなかなか理解し得ない、先読み不可能な彼独特のヒラメキをピッチの上で具現化する...ということ。
 彼のように、稀有な“卓越”タイプの選手を、試合の中で効果的に巧く起用=“使いこなせる”監督は、そうやたら滅多にいない...と思われる。よって、小倉隆史が“大成”するかしないかは、「監督との出会い」若しくは「プレー環境の選択」如何にかかっていると言えなくもない。...「記録よりも、“記憶”に残る選手」で終わってしまわないためには、「出る」「出ない」「行く」「行かない」の答えがカギとなろう...。
 一方、技術面におけるある種の“劣等感”から、まず自らが「できるようになる」ところから始めて、次に監督の意向を最大限に具現化することを目指し、それが十分実現できてから初めて「自由にプレーする」ことも許される...と解釈する、雑草魂・吉原宏太。
 監督の立場からすると比較的「使いやすい」タイプの選手なのかもしれない。よって、そこそこの結果はコンスタントに残すことのできる、「そこそこの一流選手」で終わってしまう可能性がある。もっと上=“超一流”を目指すには、「便利に使われる」だけでは無しに、ピッチの上でもっとイマジネーションを“体現”し、より効率の良い、より効果的な“ワガママ”っぷりを発揮して“暴れ回る”必要があろう。今こそが「吉原宏太の自由」を魅せる時である。
 →冠者125「先入観をブッ潰せ!選手のわがままで」→「使う者と、使われる者」参照
 ...多分、小倉隆史と吉原宏太とで...、「自由」の順番が、ちょっと違う。それと、各々におけるサッカー人生的「底」の意味合いも...(下記参照)。...けれども、行き着く先に待っている“理想のカタチ”は案外、似ていたりもする...はず...。
2002.08.28... サッカー人生における「頂点」と「底」
<小倉隆史>
「静岡のインターハイで味わった、味方の選手だけやない、相手も含めた22人を、フィールド全体を自分の左足1本でコントロールしとったって感覚が、ここに、この足に残ってるんです。
 あの感覚が左足に残っている限り、僕は自分を信じられる。小倉隆史はこんなとこで終わる男と違うって、心の底から信じられるんです。
 何でサッカーなんて始めたんやろ、俺って何なんやろって思ったこともありました。でもね、今は自信をもって言えます。一番信じられるのは、結局、自分なんやって。
 今は、生涯最大の試練に立ち向かって、それを何とか乗り越えようとしている時期や思うんです。いつか“ああ、あの頃はしんどかったな”って笑える日が必ず来るんです」
(Number425号/1997.08.18
→冠者68
<吉原宏太>
「ずっとずっと、負けたくない、とばかり思ってきたんですね。FWだったからなのだと思います。
 身長も低かったし、サッカーではいつでも一番下手クソだった。いっぺんでレギュラーになれた経験もないし、プロ選手にだってなれなかったかもしれない。
 そうなると、いつでも負けたくないという気持ちがスタートになりますね。そこからすべて、FWとしても人間としても、すべてが始まっている。
 人間、底っていうもんがあります。それがわかったところから、自分で這い上がるしかないと思えるんです」
(Number543号/2002.02.28 →冠者148
 「底」に関しては、端的には...小倉が「ケガ」で、宏太が「下手」。→冠者133
 ケガ・手術・再手術(→冠者39→冠者41→冠者55)・リハビリ等による長期戦線離脱によって...小倉隆史の肉体は、彼自身の脳味噌からの命令信号を満足に“反映”することのできない状態にまで陥った。精神面においても、“接触プレー”→「再びケガすること」を恐れる余り、自らを責め、苛立ち...味方が得点しても喜べなくなっていた時期すらあった(→冠者29)。...中途半端な「実績・結果」しか残せないまま、球団を転々とし、時にはレギュラーとサブの境界線上での選手生活を強いられることがあっても、己のプライドに対しては決して妥協すること無く、敢えて“プロ”であり続ける道を選んだ。
 ...そして遂に、2002年8月24日...“オールスター”という華やかな舞台において...試合開始早々1ゴールを決めると共に、まさしく「完全復活」と呼ぶに相応しい活躍ぶりを魅せる。それは、心行くまで“小倉隆史サッカー”を表現するに適した身体を“再び”手に入れた瞬間...とどのつまり、彼の肉体が彼の脳味噌にようやっと“追い付いた”ことを証明するに充分な「実績・結果」だと断言してしまっても構わないであろう。
 一方、吉原宏太は...「劣等感」を逆手に取って、「劣等感」そのものを自ら“動機付け的エナジー”と化すことに成功したタイプ。「背が低い」...これはもはや自分自身では如何ともし難い現実。...しかしながら「下手・苦手」を“克服”することだったら、できる!...努力に努力を重ね、2002年...彼はW杯へ“手の届くところ”までは昇りつめた...ある意味、確かにスゴい。でもそれで“お終い”では、無い!
 二人とも、過去においてそれなりに「チヤホヤされた時期」を経てきたものの、それらが実は彼等における“頂点”だ!...なんてことを、私は認める訳にはいかない。だって、「W杯出場を果たす」ことですらも“1過程”でしかない...そうでしょう!?...“上を目指せばキリがない”...それで、いいんです。アスリートにとって今が「プロセス」だからこそ、我々が“応援する”という行為が立派に成立するのですから。《2002.08.28 06:20》
2002.09.08... ファンの「男女比」「地域」「年齢層」
<小倉隆史>
男5:5女...ほぼ半々...か。
地域:全国区...敢えて言うなら、愛知・三重あたりが多い...か。
年齢層:幅広い...か。
<吉原宏太>
男0.5:9.5女...か。しかしながら男性に「隠れファン」が多い気がしなくもない...ので、実は2:8位だったりして!?
地域:特に多いのは、大阪・北海道...か。
年齢層:10〜20代中心...か。
 ...先日、勇気を出して、吉原宏太系・某掲示板に投稿しちゃったんですよぉ〜...若い(<多分)女の子ばかりが集う掲示板に!
 「宏太のファンの中にはオトコだっているんですよー」的・勇気ある!?男性の投稿を目にしちゃいまして...それについつい“便乗”して、「私もオトコですが、9月4日、東京スタジアム行っちゃいました〜」とか...書いちゃったんですねー...。
 意外だったのが、その“反応”。多数の女性の中に、極少数の男性...毛嫌い(っていうか、無視?)されるかなーと思いきや...むしろ“歓迎”されちゃいまして!?常連と思わしき皆さん、めっちゃ優しい!温かい!!...ただ単に、ああいった雰囲気を毛嫌いしていたのは、誰でもない私自身...だったんだなーと。...飛び込んでみないとその真価がわかり得ない世界っていうのも、あるんだなーって...これって一種の“再発見”ってやつなんでしょうか...やはり、食わず嫌いは、いけません!?(でも...私の年齢が、あそこの年齢層のほぼ“倍”だという事実を知ったら...間違い無く「引く」だろーなー...)《2002.09.07 01:00》
2002.09.08... インターネットにおける、選手とファンとの「距離感」
 小倉隆史は明らかに...ファンとは意図的に距離を置いている感が強い。そして、吉原宏太は...ネット上にて「かつては」ファンと積極的に交流を図っていた...かつては。
 真の意味における「超一流」を目指すためには...ファンと選手とで、明確なる「一線」を画す必要があるのかもしれない。ファンは選手に、何を求めるのか...サイン?写真?友人関係?恋人以上!?
 ...私自身、こんなHomepageを開設していたりもするので、「ゴールしてさえくれれば何も要らない!」なんていうキレイゴトを言うつもりは全くありません。私のHomepage運営ポリシー&スタンスは、選手にどう思われようが、選手がどういう信念を持っていようが、こちら側から選手に対して積極的な「関わり合い」を敢えて求めない代わりに、私自身のHomepage上では好き勝手やらせてもらう!...ということなんです。
 
かつての吉原宏太公認Homepageの閉鎖(更新停止)の理由のひとつが...「宏太の足を引っ張りたくない」(→『We love Kohta!! - 99.12.26 ご挨拶』へ直リンク)...ということらしいのです。...選手個人が直接的にHomepage運営に“協力”し、携わっているという「しがらみ」が、自由奔放なHomepage運営の妨げになることも、あるんだなー...と。
 どう考えても、宏太と直接連絡を取り、宏太の本音を掲載していく方が...管理人自身の「憶測・思い込み」的文章を載せていくよりも...内容の濃い、充実したHomepageになる...確かにこれはひとつの理想であり、真実ではあるけれども、「永続的」な維持・運営・更新は...かなり難しい。ましてや「個人」Homepageだと尚更。
 一度、応援Homepageなるものを立ち上げてしまった以上、選手に対して愛想が尽きない限りにおいては...ずっとずっと、運営し続けていきたいんです。選手が応援Homepageと関わりを持つことで、選手自身がファンに「勇気づけられる」以上に「不快」→「迷惑」になってしまったり、Homepageそのものの果たす役割が「短命」に終わってしまうのであれば...こちら側から意図的に選手と距離を置きつつ運営していく方が...無難かつ確実な道でしょう。
 ぶっちゃけ、こっちはこっちで好き勝手応援しているから、OGUはOGUで、思う存分、好きなだけ好きなようにサッカーやっちゃって!...でも、写真くらいは撮らせてね...たまにはサインも書いてよね...ってな感じです。
 参考:東京ヴェルディ1969・山田卓也応援Homepage「TAKUYA YAMADA IS EXOTIC TERMINATER」は、選手と管理人との絶妙なる“距離感”が継続的運営の源になっている、数少ない“成功例”...だと私は確信しております。このサイトが閉鎖に追い込まれるようであれば、個人運営“選手系”Homepageに未来はありません...!?《2002.09.08 22:10》
2002.08.29... あとがき 其の1「私がまだ川崎市民だった頃...」
 5月9日に、『コンサ・デ・コンサ』の管理人様からメールが届きまして...リンク依頼の。で、5月18日にお返事出したのですが...1箇月、2箇月経っても、うちのサイトがリンク集に掲載されない!?
 「コンサイズムの某コラム、ムカつく〜!」とか「OGUは別に、コンサでなくってもいいんだよ〜!」等...コンサ球団系サポの皆さんをもしかしたら不快にさせてしまうようなコトとかを意図的に(しかしながら表現はかなり丸めて)書いて載せたりしてたんで、こりゃあもしかして「嫌われたかぁ〜?」...なーんてちょっと(ちょっとだけよ、ちょっと)思ってたら...8月19日に祝・掲載!!わ〜い。...更新が遅れてしまっていただけだったんですね...ホッ!
 紹介文中の...「コンテンツが入り組んでいるんで、初めて訪れる人はWhat's Newから入った方がいいかも」...は、ナイス・ツッコミ!?(←突っ込みじゃねぇよって...)何せうちのサイト、開設当初から「迷路」とか言われてましたし!?
 リンク依頼メールの“追伸”として(無断引用...でもお許しいただけると信じて!?↓)...
「OGU面冠者さんのサイトはできたころから存じていました。うちのサイトは96年にできたのですが、まだコンサがJFLにいて応援サイトも両手の指であまるくらいしかなく、Jリーグ関係のリンク集サイトでも全サイトリストが1ページにおさまっていた頃です。当時、サイト名は“コンサドーレ札幌ホームページ”と名乗っていて、べたなそのまんまの名前のサイトでした。上の方の(リーグの)人たちは、サイトの名前まで凝っていてなんかひと味違うぞ、とか思っていたりしました(^^)」
 ...今や“ひと味どころではない位に違うぞ!?”とはまさか書いてはくれませんよねー...だはは。「96年Homepage開設組」として、うちも更新がむばらなければ!!
 1997年に、しちろうさんの『Consadole SAPPORO Supporters ROOM』へはお邪魔したことがありました。確か相互リンク...だったよーな記憶が。...同年9月4日に等々力で、JFLの川崎Fvs札幌の試合を観て...負けたんですよぉフロンターレ←元グランパスの中西哲生も平山大もいたし、翌年(多分)グラに入団する野口幸司も在籍してたんです。当時は川崎市民だったということもあり、コンサに負けてそれなりに悔しかったですねー...確か。んー...記憶がかなり曖昧。冠者71にて、この試合について“アホ丸出し”口調で語ってますです...。当時本拠地がまだ川崎だった某球団の「緑色の旗は、なーい!」←これ、ナイス・ツッコミ!?(っていうか...コンサだって、前身・東芝時代は川崎が本拠地だったんですよね...)
 あとは...1999年に吉原宏太公認『We love Kohta!!』へアクセスして、「五輪代表メンバーに選出されて、オリンピックに出たくても出ることのできなかった小倉隆史の分まで頑張って下さい」云々、掲示板へ投稿させていただきました。...小倉移籍前における、コンサ系サイトとの“接触”は、多分この2件のみ...です。《2002.08.29 02:50》
2002.09.02... あとがき 其の2「地元意識...そして、選手が“上”を目指すための球団」
 選手系サポってもしかして...勝敗や移籍に関しては若干“気楽”なところがあるんでしょうか?...贔屓の選手さえ活躍できれば、「環境」はどこでもいい!みたいなところが確かにありますから。
 逆に、球団系サポは...選手の起用や選手のケガに関して、ちょっと“気楽”かなー?と...その「代わり」が存在しますから。...と、思いきや、“山瀬功治・全治6箇月”の一件を見るに...球団にとって「絶対的に不可欠な存在」が一大事!なんてことになると...球団系サポ・選手系サポ・他サポなんていうカテゴリー分けがナンセンスと化してしまうような“大きな輪”が構築されちゃうこともあるんですよね...。
 が、しかし...選手は時として、自らの強い意思により...愛着ある球団を去らざるを得ない必要性に迫られる場合があるんです。
 
吉原宏太自身がそう語った訳では決してありませんが...彼がコンサを去った“間接的な”理由(→『We love Kohta!! - 99.12.26 ご挨拶』へ直リンク)って...“北海道”という土地柄(=雪国「地理的・気候的に厳しい条件」→冠者130)上、どうすることもできないコトだったりするんですよね...。←これを知った時、かなり切ない気持ちになりました...。北海道民に愛されて、彼等の声援に応えて、“結果”を出し続けることができたなら...即ちそれが選手的には「もっと上を目指す」という“移籍”の理由と化してしまうなんて...。
 我々のような“選手系サポ”ならともかく、球団系サポの皆さんが選手に声援を送るのは、球団の勝利につながるような選手の活躍を願っているから...であって、まさか...選手自身の“出世”→「選手がコンサを“卒業”する」のを“後押し”したいがため...な訳、無いですよね!?...
 「球団の勝利」と「選手の将来」...一体、どちらが大事なんですか!?...吉原宏太が“上”を目指すために敢えて「出て行く」ことを決めた球団に、今、小倉隆史は籍を置いている。←冠者151に載せたこの1文が、今の私には途轍もなく重いんです...。“上”を目指すためにはやはり移籍せざるを得ないのか?...いや、コンサに籍を置きながら“上”を目指さんとするのは本当に不可能なコトなのか?...「Mr.コンサドーレ=小倉隆史」と呼ばれるようになったり、「小倉さんのいるコンサドーレに入団して、是非一緒にプレーしてみたい」「“高いレベル”の球団で自分を磨きたいから、コンサドーレを選びました」なんてことを言い出す選手が出てきたり...そういうのだって、決して悪くはない...!?
 某サイトで「コンサドーレは、北海道の中でだけ盛り上がっている甘やかされた球団」みたいに書かれているのを目にしたことがあります。それはある意味、確かに的を得ている言い分かもしれませんが...サポーターの“結束力の固さ”の理由として、「どうすることもできないコトを何とかして克服したい」という強い想いが大いに関わっているような気がするんです...。
 宏太自身、“低身長”という、どうすることもできない身体的コンプレックスを、人一倍の努力→“技術・身体能力向上”を果たすことによって、見事なまでに補っています。彼自身がコンサドーレ以外の環境において“結果”を出し続けること、それは即ち...「球団」コンサドーレ及びその「サポーター」...プラス「北海道民」に対する、最大限の感謝を込めた彼なりの“メッセージ”なのかもしれません...「あきらめるな!夢は実現できる!!」...と。
 小倉隆史が“上”を目指すための球団=「コンサドーレ札幌」...案外それも充分アリ!だったりするのかな?...なんて思ったりもする今日この頃です。決めるのはOGU自身...私は彼の、如何なる“決断”も支持し、応援します!!《2002.08.30 03:50/2002.09.02 2:00》
2002.09.10... あとがき 其の3「もうひとつの...どうすることもできないコト」
 私って...多分、「困難や“壁”を乗り越えて」的なお話にかなり弱いっす...。OGUにしても宏太にしても、自らに突き付けられた“課題”をクリアしてきていますよね...勿論、今もその真っ只中なんですけど。そこらへんが、もう...応援せずにはいられない!って感じなんです...。
 私はコンサドーレのことを何も知らない...知らない癖に、表面上だけ見て判断して、あーだこーだ言ってきました。...いや、今だって、コンサのことを理解したとは到底言えやしないのですが...。
 おそらく、私の視野=“興味の範囲”がヒトと比べて異常なまでに狭く、偏った知識しか持ち得ていないことが原因だとは思うのですが...「知らなかったこと」を「知ることができた」感動っぷりが、並大抵では無いんです...私の場合。
 宏太のこと、コンサのこと...今更ながらも「重大なる事実」をひとつひとつ知るたびに、相当なショックを受けまくっております...。何故、吉原宏太公認Homepageは閉じられたのか?...何故、コンサで結果・実績を残した選手(外国人)がコンサに籍を置き続けることができないのか...。前者に関しては既に色々書いているので、今回は後者について...。
 とどのつまり、コンサドーレにはお金が無い!...無いどころか、二十数億もの借金がある...。レンタルで有能な選手を連れてきても、ずーっとレンタルしっ放しという訳にはいかない...引き続きコンサに居てもらうには、移籍金が必要になってくる...それが払えないから、泣く泣く他球団へ手放さざるを得なくなる...ということを、『Consadole Con Brio! Home Page』綾瀬太郎様から教えていただきました。
 非常にネガティヴな理由↑がキッカケとなったような感じなので、大変申し訳ない気もするのですが...これは本腰入れて、コンサドーレ札幌を応援していかねば!?なんていうふうに考えつつあります。「どうすることもできないコト」には、“雪国”だけではなく、“球団の台所事情”イコール“お金”...ということも、あったんですね...。
 小倉隆史の野次...“免疫”の無い頃(ってつい最近のコトですが...)には、私の中で...観戦時における“ストレス”と化しておりました。でももう今はさら〜っと“聞き流す”自信があります...多少ムカつきはするでしょうが!?
 来年とか、再来年とか...今の段階ではどうなるのか、見当すらつきません。...が、今、現実として小倉隆史は、まさに「コンサドーレ札幌」で奮闘中なんです!!...「応援」という至極抽象的なコトバでしか表現することはできませんが...OGUと、コンサの選手達...そして、コンサドーレ...応援していきたいと思います!!《2002.09.10 01:00》
2002.09.09... おまけ:背中/ピロピロ
2002.07.20 国立 vs浦和2002.04.07 横浜国際
2002.04.27 柏2002.08.10 厚別


http://www.ogumen.com/
OGUmen-KAJA

Copyright © 1986-2002 OGUmen-COMpany
Seigo Shiriuchi All rights reserved.

E-mail : ogustar@ogumen.com