僕は、サッカーが好きだ。
小さい頃、やりたかった野球ができなかったから、サッカーをやることにした。
気がつくと周りにいる誰よりも上手くなっていた。自分の足でゲームをコントロールする“快感”を覚えたのは、この頃だったように思う。
そして、サッカーを好きになった。
中学・高校と、いくつかの小さなつまずきはあったものの、ほぼ全てが思い通りに叶えられていった。当然の如く、僕はプロになる道を選んだ。目の前に立ちはだかる壁を、ひとつ、ふたつと乗り越えていくことが、そのまま自信につながった。夢も野望も、どんどん大きく膨らんでいった。
いつの間にか僕は、サッカーをすることによって自分自身が喜びを“得る”と同時に、大勢の人達に喜びを“与える”立場になっていた。もはやそれが、僕にとっては当たり前だった。だからこそ、そういったことに関して深く考えたことは、それまであまりなかった。
恐いものなんて、何ひとつなかった。
オリンピック出場という、大きな目標があった。しかしながら、2度の大きな負傷により、それは果たされなかった。
手術をした。それは一見、成功したかのようにも思えた。「これで、もう、大丈夫」...が、真の意味での“挫折”は、その後にやって来た.....
おかしい。思い通りにプレーできない。身体が、言うことをきかない。
こんなはずはない、もっとやれる...でも、また、空回り.....
苛立ちと苦悩の日々が続く。僕は、大好きだったはずのサッカーで、笑えなくなっていた。
チームメイトがゴールを決めても、更にはチームの勝利にさえも、喜べなくなっていた。
僕はいつでもみんなより、何歩も先を歩いていた。なのにいつしか、どんどん、追い越されていくような...でも...いやしかし...だからこそ、そういうふうに考えたくはなかった。
焦りが自信を狂わせ、不安になると「僕は、僕だ」と言い聞かせた。
結果を出せなくなった僕は、当然のことながら、酷評されるようになった。
「以前のような溌剌としたプレーには戻らない」「スター選手によくありがちな過去の人」.....「もうおわった」とすら感じた人もいたようだ。
それでも、僕を信じて“待って”くれる人も、確実にいた。
僕がサッカーで怒りを得、怒りを与えるようになってから、(そう、当たり前だったことが当たり前ではなくなってから)初めて僕はサポーターの声援の“本当の有難さ”を実感するようになった気がする。
〜何でサッカーなんて始めたんやろ?俺って、何なんやろ?〜
僕は、僕自身を“一番”信じることに決めた。
従来の悪しき慣わし「ケガで辞める選手」には、どうしてもなりたくなかった。
サッカーを、あきらめることが.....どうしてもできなかった!
選手生命を賭けて、大手術を受けるしか、僕に道はなかった。サッカーをやりたい!やりたくてたまらない!そのためだったら、僕は何でもやる!どんなに苦しくても、つらくても.....
そして今、見かけ上の「仮」戦線復帰は果たした。サッカーをする身体になり、ゴールする感覚も戻りつつある。既に舞台は整った。
でも僕はもっともっと、サッカーの“喜怒哀楽”全てをひっくるめて楽しみたいし、楽しませてあげたい。そのためには、より先を、より上を目指さなければならない。乗り越えてこその試練だし、試練は今もなお続いている。僕のシナリオは、まだ終わっていない。
僕のプレーに一喜一憂してくれる全ての人達のために。そして、何もかもを笑い飛ばせるであろうその日のために。
僕は、サッカーが好きだ!
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